The man behind the name
2019年ジュネーブ・ショーで公開された、ケーニグセグの新型メガカー、“ジェスコ”は、ケーニグセグ・オートモーティブの歴史の中でも、特別にして特別な人物に敬意を表して命名されました。
ケーニグセグ・オートモーティブに対するジェスコ・フォン・ケーニグセグの貢献は、ケーニグセグ・オートモーティブの創業よりも前にまで遡ります。まだ幼かったクリスチャン・フォン・ケーニグセグを、ノルウェーのアニメ映画『ピンチクリフ・グランプリ』を上映する映画館へと連れていったのが、父親であるジェスコでした。この映画を通して、クリスチャンは現在にまで繋がる壮大な夢をその胸に抱いたのでした。
ジェスコと妻のブリタは、息子の実用的なエンジニアリングへの興味を奨励し、モンキーバイクやモペットを改造したり、ボートのエンジンをチューニングするなどした際に、物質面でも精神面でも、そこに多くの愛を注ぎながら献身的にサポートをしたのです。
自身が起業家でもあるジェスコと、ストックホルムで有名な婦人服のビジネスを展開するブリタの2人は、クリスチャンに対して、常にビジネスの在り方を見せ、そのセンスを研ぎ澄まさせることにも多大な影響を及ぼしました。
1995年、自身の事業を売却したばかりのジェスコは、ケーニグセグの創業初期の頃にクリスチャンと一緒にオロフストロームに入り、6週間のビジネスアシスタントを務めることにしました。
その6週間は、結果5年にも及びました。
ジェスコはケーニグセグの初代会長に就任し、ケーニグセグの未来のために自分の人生、そして貯金の大部分を注ぎ込みました。彼の豊富なビジネス経験が、会社を未来へと導くための基本構造と、実践を伴う経験豊富な取締役会を構築する上で、何より貴重なものであったことは、今日のケーニグセグの成功を見れば明らかでしょう。
「役員会は、ケーニグセグ・モデルのビジョンが、単なる若者の夢ではないことを理解していました。それは、最高のもの以外は何も受け入れないという、それは確固たる情熱に突き動かされるものだったからです」と、ジェスコ・フォン・ケーニグセグは言います。
ジェスコは、1997年のカンヌ国際映画祭で、ケーニグセグが初めて作品を展示したプロジェクトにも参加しました。
彼のケーニグセグへの想いとプロモーションへの情熱は、決して衰えることはありませんでした。
ケーニグセグ・オートモーティブとの濃密な関わりの日々を終えてから10年以上が経過した今日でも、ジェスコはスーツとネクタイを着用して、毎年ジュネーブ・ショーのケーニグセグのブースに足を運んでいます。

A life lived to the full
ジェスコ・フォン・ケーニグセグの人生は、家族、仕事、そして競走馬への愛情という、3つの大きな情熱に傾けられました。
ジェスコの競走馬への愛は、ジョッキーとして馬を育成し、競馬をしていた父ハラルドに端を発し、生涯を通じたものです。ジェスコ自身、アマチュアジョッキーとして成功を収め、40年以上に渡って、スウェーデン競馬界で理事会メンバーとして貢献してきました。
ジュネーブで展示されたジェスコのショーモデルは、ケーニグセグ厩舎の騎手が着用している勝負服と同じ、白に緑のアクセントが入ったカラーリングを纏っていました。
ジェスコの愛情の相手は、もちろん家族です。
1968年にブリタと結婚。彼らには現在、3人の子供と7人の孫がいます。ジェスコは引退後の生活を楽しんでいますが、それは決して静かな余生ではなく、夫婦で世界の四隅を旅しながら、今も人生の冒険を送り続けているのです。
ケーニグセグ・オートモーティブは、ジェスコ・フォン・ケーニグセグの長年の経験、サポート、ハードワーク、投資がなければ、今日のような会社には至らなかったでしょう。
ジェスコ・フォン・ケーニグセグの起業家精神と冒険心は、息子のクリスチャンにも確実に継承されており、彼らの家名を冠した会社を牽引し続けています。
ケーニグセグ・オートモーティブ25周年と重なる2018年11月にジェスコ氏が80歳の誕生日を迎えたことで、クリスチャンは、次期ニューモデルにジェスコの名を冠すること以上に、父親を称えるのに相応しい方法はないと考えました。
ケーニグセグ・オートモーティブは、ジェスコ・フォン・ケーニグセグの生涯と会社への貢献に敬意を表し、新しいメガカーを“ケーニグセグ・ジェスコ”と命名したのです。
